ログイン【①状況】
サラリアが年頃になると、各国から見合い話が届くようになった。
数年前から続く天候不順。
周辺諸国では作物の不作が相次ぎ、食料不足が深刻化していた。
そんな中で、サラリアの国だけは例年と変わらぬ収穫を維持していた。
理由は一つ。
―――金色姫。
五穀豊穣をもたらす神の化身。
幸運を呼ぶ象徴。
その噂は国境を越え、いつしか各国の王侯貴族たちの耳にも届いていた。
だから求婚が来る。
見合い話が来る。
けれど父王は、どれも受けなかった。
「まだ幼い」
「もう少し手元に置いておきたい」
「神殿のお告げがあってな」
その場しのぎの理由を並べては断り続ける。
サラリアは知っていた。
父王に自分を嫁がせる気など最初からないことを。
父王にとってサラリアは娘ではない。
王座を守るための護符だ。
手放すわけがない。
最初の頃こそ、どこか遠い国へ嫁げば自由になれるかもしれないと思ったこともあった。
だが何度も期待を裏切られるうちに、その希望も消えた。
どこへも行けない。
誰にも選ばれない。
一生このまま。
それが自分の人生なのだと諦めていた。
だから、その日も現実味がなかった。
城中が騒然としている理由を聞くまでは。
「ドラコニアから使者が来たそうです」
使用人たちのざわめきが聞こえた。
ドラコニア。
空を支配する竜族の国。
人間たちにとっては伝説にも等しい存在。
巨大な竜たちが空を舞い、浮島に築かれた天空国家。
その王が直々に来訪した。
目的は―――金色姫。
自分だった。
【②感情ピーク】
使者は丁寧だった。
礼儀正しく。
穏やかに。
しかし、その内容は拒否を許さないものだった。
ドラコニアへ金色姫を招待したい。
言葉を飾ればそうなる。
だが実際には違う。
寄越せ。
そう言っているのと同じだった。
父王は青ざめた。
サラリアはその様子を見て少しだけ可笑しくなる。
父王は理解していたのだ。
自分が王でいられる理由を。
金色姫がいるから。
ただそれだけなのだと。
だから手放したくない。
けれど相手はドラコニア。
逆らえば国が消える。
父王は数日悩み―――そして愚かな結論を出した。
サラリアを死んだことにする。
その話を聞いた時。
サラリアは怒るより先に呆れた。
本気なのだろうかと思った。
相手は一国の王だ。
少し調べれば嘘など簡単に露見する。
それでも父王は信じていた。
どうにかなると。
病死ということにしてしまえば乗り切れると。
あまりにも愚かだった。
けれど同時に、どこか他人事だった。
サラリアは気づいていたからだ。
父王が自分を愛していないことを。
だから失望もしない。
悲しくもない。
期待していない相手に裏切られることはない。
その夜。
サラリアは城外れの古い塔へ移された。
石造りの古い建物。
蔦の絡まる壁。
隙間風の吹き込む窓。
誰が見ても廃墟だった。
「しばらくここにいてくれ」
父王は真剣な顔で言った。
まるで名案を思いついた子どものようだった。
サラリアは頷いた。
抵抗する気もなかった。
どうせ何を言っても変わらない。
いつもそうだったから。
そして父王は去っていった。
侍女も残さず。
護衛も置かず。
たった一人。
サラリアを塔へ残して。
それでもサラリアは不思議と恐くなかった。
近衛隊長がこっそり用意してくれた軍用携帯食があったし、何より自分の未来に期待していなかったからだ。
どうなっても構わない。
そう思っていた。
本当に。
そう思っていたはずだった。
【③次話への誘導】
三日後。
サラリアは窓辺へ引きずってきた椅子に腰掛けていた。
遠くから楽団の音色が聞こえる。
歓迎の宴だろう。
金色姫が死んだはずなのに。
その矛盾に苦笑する。
やがて嘘は露見する。
ドラコニアは怒るだろう。
国が滅ぶかもしれない。
自分は処刑されるかもしれない。
あるいは竜の国へ連れて行かれるかもしれない。
人生が大きく変わる夜。
なのに不思議なほど心は静かだった。
怖くない。
惜しくない。
生きたいとも思わない。
どうなっても受け入れられる。
そう思っていた。
だから。
「こんばんは」
突然聞こえた声に、サラリアの心臓は大きく跳ねた。
塔の中には誰もいないはずだった。
慌てて振り返る。
月明かりの差し込む窓辺。
そこには。
見たこともないほど美しい青年が立っていた。
その瞬間。
凪いでいたはずの心が、初めて大きく波打った。
「だから、なんでそういうことをペラペラと……」頭痛をこらえる様なオーレリウスの渋い表情に対し、カイゼルは『わけが分からない』と言うように首を傾げる。「ラーシュ様がサラリア様を一途に思っていることは皆の知るところ。王竜であるトール様もいらっしゃる。妾の座など、ないものを争っても仕方があるまい」「まあ……」「ないものを争うなんて無駄なことをせず、美しい舞いを神に捧げる役目を果たすべきだ。五穀豊穣を願う舞いは、ドラコニアにとってとても大切なものなのだからな」カイゼルの言っていることは真理だ。「兄さんって本当に心がきれいだよね」「そうか?」カイゼルはまた首を傾げる。「野菜を食べるとキレイになると言うらしい。心身にいい効果があるのだろう。風邪もひかなくなった。おかげで診療所に行くことも減ったぞ」「いや、もともと風邪で診療所に行ったことはないじゃないか」カイゼルの通院歴は全て怪我の治療である。.「サラリア様ほど五穀豊穣を願う巫女に相応しい者はおらんだろう」「五穀豊穣……」五穀豊穣という言葉は、サラリアにとって苦い思い出の言葉だった。サラリアが金髪に触れる姿に、サラリアの過去を知っているオーレリウスは慌てた。しかし――。「この三年、このドラコニアの土を豊かにし、美味しい野菜を作る知恵を我々に授けてくださったのはサラリア様だ」見た目ではない。サラリアがやったことを認める言葉。「サラリア様の野菜があるから、他国からの輸入に頼ることも減り、長く経済が低迷していたドラコニアは再び繁栄の時代になった」「そうですね。余剰資金で診療所を作り、病気で苦しむ子どもが減りました」「学び舎が増え、子どもたちの学ぶ声があちこちから聞こえる。これこそ未来ある豊かな国の正しい形だ」あまりに素直な意見にサラリアは呆気にとられ、ふっと笑う。金色の髪。五穀豊穣の証。これまで呪詛のように圧し掛かっていたものが、軽くなった気がした。「カイゼル卿、私の国では私のような金髪の子は五穀豊穣をもたらすと言われていたのですよ」「ほう、そうでしたか」「ふふふ、それですませてしまうのね」「……何か足りないところでも?」首を傾げたカイゼルが、何かを思い出した顔をする。「女子と会話するときの三か条!」(……何それ)容姿を称えよ。ドレスと宝飾品のセンスを褒めよ。
「兄さん、話し過ぎです」トールが「もういいよ」と言ったことで動けるようになったオーレリウスは、痛む頭を抑えながら兄に文句を言った。「そうか? でも、お前も止めなかったじゃないか」「止めなかったのではありません。トール様のオーラで止められなかったのです!」何を見ていたんだ。そう言うように、オーレリウスはカイゼルに文句を言ったあと、トールのほうをちらりと見た。感覚に敏いトールはオーレリウスの視線に気づいて二カッと笑う。無邪気な笑みだが、もう騙されないとオーレリウスは心に誓った。「あれは気合で解くんだ、気合いで」「……俺、久しぶりに兄さんを尊敬しました」「そうかそうか」脳筋な解決法にオーレリウスは皮肉を返したのだが、カイゼルはおおらかに笑うだけ。勝てないなと、オーレリウスは苦笑する。「あれは訓練にもいいぞ。ふんっと気合を入れると周りのどこかにヒビが入る感じがするから、それをセイヤッって気合いを入れて叩き割るんだ」清々しいほど脳筋な感覚的説明である。だが、ウィンドスケイルの武人の血なのか、オーレリウスとしては何か分かる。「カイゼル、そんなことをしているの?」「そうですぞ」トールの無邪気な質問に、カイゼルはガハハと笑う。「父上はそんなことをしていないよ。笑いながら簡単に解かれちゃう」「それはトール様の御父上としての意地ですな。やっていることは私と同じ、『ふんっ』と『セイヤッ』です」そう言いながら、ガイゼルは弟を見た。「しかし、オーレリウスがあれを解けないとは……トール様が素晴らしいのか、オーレリウスたち文官が軟弱なのか」そう言ったあと、一つ頷く。「トール様の質を下げるのはもってのほか。文官共をもう少し鍛えるべきですな」適材適所という言葉をカイゼルは知るべきである。そんなカイゼルは、ここでサラリアがずっと黙っ
「トールが帰ってきましたね」「そのようですね」ラーシュやオーレリウスたちは上空で人化してから、この島に降り立つ。だが、まだ子どものトールにそれはできず、トールは竜のまま島に降り立つのだ。竜の羽ばたきが起こす強い風でガラスがビリビリと震える。毎度割れないか心配だった。.「母様、ただいま!」ぽふんっと音を立てて抱きついてくるトール。体はまだ子どものもの。あともう少しだけ、と甘い気持ちをサラリアは感じながら、視線をトールの後ろに向ける。「カイゼル卿」カイゼルがその場で膝をつき、頭を下げる。そんなガイゼルに、サラリアは頭をあげるように言った。「トールは迷惑をかけませんでしたか?」「まさかっ! 今日のトール様も素晴らしかったでございます!」ガイゼルは今日もトールが大好きだ。「まだ筋力が少ないので木剣で訓練をしていますが、トール様ならすぐにでも鋼製の大剣を自在に操るようになられるでしょう」「トール、例の訓練も皆さんとしたの?」「うん」剣の訓練の話をしていたときは誇らしげだったトールの表情が微かに曇る。「でもね、カイゼルよりは時間がかかったけれど全員に解かれちゃった」「それは残念だったわね」「僕、もっと強くなるんだ」気合を入れるトールの頭を撫でながら、サラリアは微笑む。「ねえ、トール」サラリアはトールに耳打ちする。トールはにこっと笑うと、サラリアに頷いて、オーレリウスのもとにいく。「オーレリウス、おはよう」「おはようございます、トール様」駆け寄ってきたトールに、オーレリウスは優しい笑みを向ける。トールに対して、王竜として敬う気持ちはもちろんある。だが、息子の友だちという感覚もオーレリウスにはあるため、ガイゼルに比べるとトールに対する態度はかなり砕けている。
トールの母親として、サラリアは竜族について学んでいる。竜族や兎族など種族は分かれているか、トールの変化をみる限りは元は人族と同じで、発現を経てそれぞれ獣の形になることができるようになるようだ。今のトールは人族の姿で、竜の翼だけを出現させるなど、本人がこうしたいと思ったところだけ竜化できるようだ。発現を迎えると、その獣の本能のようなものが強くなる。トールによれば、音や匂いがこれまでより強く感じるらしい。実際に、トールはサラリアの何十倍も鼻がいい。それなのに、オーレリウスが纏う花の香りが分からない。(そしておそらく、オーレリウス様自身も分かっていらっしゃらないだろう)ただし、分からないのはどんな匂いかというだけ。自分が強い香りを纏っていることは分かっているはずだ。(……番の匂い)番を呼ぶ香り。――姫のにおいがしたから。サラリアはラーシュと初めて会ったときのことを思い出した。ラーシュが言っていた『いい匂い』のこと。柑橘類やハーブのような、言葉であれだと指せるような匂いではない。ただ、好きだから、いい匂い。どんなところをなどは説明できない、ただ好きとしか言えない匂い。そして――。(……この匂いのせい……)サラリアの体が疼く。初めて会ったとき、サラリアはラーシュから番の匂いを感じなかった。トールの成長を見る限り、人族の本能的なものがないことが理由だろうが、当時のサラリアがまだ生娘だったことも理由の一つだろう。あのときとは違って、ラーシュに深く愛され、自分の中に眠っていた女の欲を目覚めさせられたいまのサラリアには分かる。自分の中で、女の欲が蠢く感覚。――本当に、サラリア様に『番』という感覚はございませんの?どうしてあんなにラパンが不思議そうだったのか。それが今なら分
「サラリア様、全体的に値上げしました?」久しぶりに食事に来たオーレリウスの言葉に、「目ざとい」とサラリアは思った。細かいことをあまり気にしない竜族。これまで誰も値上げに気づかなかった。それなのにオーレリウスが気づいたのは、お小遣い制度でラパンにぎっちり財布の紐を握られているからだろう。「蓄えを増やそうと思いまして」利益を増やすための値上げ。安直なやり方だと思いはしたが、王竜のブランドがある限りは値上げしようと竜族はお金を払う。そう分かっているなら、使わない手はない。「蓄え、ですか」オーレリウスが首を傾げる。「何かありましたか?」言外で「こちらで解決する」と言っているオーレリウスにサラリアは苦笑する。食事のように、トールに関することなら甘えてもいいかもしれない。しかし。「私個人のことなので、お構いなく」「……相談にならのりますよ?」「先のことを考えて……この国に来てもう3年だと思ったら、お約束の10年もあっという間に終わるのだろうと思ったのです」それと値上げがどう関係あるか分からず、オーレリウスは首を傾げた。「それで、地上に戻ったことを考えて、とりあえず老後も考えてお金を貯めておこうかと」「老後……」「…………オーレリウス様?」オーレリウスは明らかに何かに気づいた。さらに、その表情は後ろめたいものだった。いまはもう、いつもの穏やかな表情に戻ってはいる。(聞いても無駄ね)「すみません、オニオンスライスが辛くて」微妙な表情をオニオンスライスのせいにしたオーレリウスにサラリアは微笑む。「水に晒すのが足りなかったようですね」何でもない振りをする。離す気のない相手を尋問するなど無駄なことはしない。なぜなら、他に方法があるのだから。.「水に晒して、ちょうど
「トールが採ったは、狡いのではないか?」ラーシュのグラスが空であることに気づいたサラリアが、水をグラスに注いでいるとラーシュがそんなことを言った。やや恨みがましい。最初の頃は気づかなかったようだが、さすがにもうサラリアの『嫌がらせ』に気づいているようだ。それでも、サラリアは素知らぬ振りで首を傾げる。「それならばお食べにならなければよろしいのでは?」ラーシュの顔が歪む。サラリアはほくそ笑みたいのを堪える。「陛下がお食べになろうとならなかろうと、お代に変わりはありませんもの」「……食べる」ラーシュは渋々とフォークをレタスに突き刺した。あちこちで同じような光景がみられる。竜族は本当に野菜が嫌いなようだ。高笑いしたくなるのを堪えながら、サラリアは端のテーブルを見た。(例外もいるけれど)「おお、美味しいですぞ!」今日も元気な声だ。「さすがトール様です、美味しいピーマンを選ぶ才能までおありとは」「へへへ、すごいでしょう。いっぱいたべてね、ガイゼル」その例外は、トールの護衛騎士ガイゼル。ウィンドスケイル公爵家の長男で、サラリアの認識では『あの兄』。出家して神殿の聖騎士隊の騎士だったが、サラリアがトールの護衛騎士になってほしいと希望した。王竜だがまだ子どものトールには護衛は必須。そして護衛は四六時中サラリアたちの傍にいる。だから、裏がなくて楽そうだったガイゼルを指名した。因みに。その辞令をオーレリウスから受けたとき、ガイゼルはとても落ち着いていたらしい。あの王竜激ラブな兄の不可解な様子にオーレリウスは首を傾げたが、なんてことはなく、ガイゼルは『夢に違いない』と思っていただけだった。しかし、現実なので「夢なら覚めないでほしい」と思いながら時間は経過。引継ぎをすませ、神殿の騎士を辞職し、近衛騎士に戻った・そし
それから始まった蜜月期と呼ばれる時間をサラリアはほとんどラーシュの腕の中で過ごした。朝、目を覚ませば隣にラーシュがいる。食事をしていても抱き寄せられる。夜になれば当然のようにラーシュはサラリアを抱いた。竜族は体温が高く、ラーシュに抱き込まれるたびぽかぽかと温かくて安心したが―――問題があった。竜族と人族では体力が違いすぎた。ラーシュは加減していると言っていたが、それでもサラリアは毎夜抱き潰されて気絶するように眠りについていた。「ラーシュ、休憩……お願
至近距離にラーシュの顔があった。長い睫毛。 白い肌。 冷たい美貌なのに藍色の瞳だけが熱を帯びている。気づけば見上げる形になったラーシュの顔を見ていた。視線がラーシュのものと絡まった途端、サラリアの背筋を痺れるような甘さが駆け上がった。腰の奥がじわりと熱を持ち、身体の芯が溶けていくようだった。「な、なに……?」自分の身体なのに、自分のものではないみたいだった。力が抜ける。息が苦しい。頬が熱い。怖いのに、逃げたいのに、ラーシュから目を逸ら
サラリアがラーシュと出会ったのは地上にある小さな国だった。豊かな水と肥沃な土に恵まれたその国は、一見すれば平和で穏やかな国に見えるが腐り切っていた。王は無能。貴族は私腹を肥やすだけ。王には正妃が一人、側妃が九人。さらに愛妾は数え切れないほどいて、結果的に子どももまた大量にいた。王子が八人、王女が十二人。サラリアは第十王女だった。·サラリアは女だけの後宮で育った。後宮のことを「花園」と呼ぶが、そんな呼び方は実態を知らぬ者が抱く幻想。人の手で整えられてこそ花園は美しい。管理されなくなった花園は地獄そのものだった。美しい衣装や豪奢な宝飾品を身に着けて笑う女の傍らで、多くの女
窓の外から金属が擦れる音が聞こえた瞬間、サラリアはベッドの上でぼんやりとしていた視線をゆっくりと持ち上げた。塔の外壁に沿って鎖が下ろされる音。重たい鉄が軋む音。人の気配。いつもは静寂しかないこの塔に生まれた僅かな騒がしさに、サラリアは反射的に窓辺へ歩み寄る。石造りの床は今日も冷たく、裸足の裏から熱を奪っていった。.小さな窓から身を乗り出すように下を見れば、塔の周囲に何人もの兵士たちが集まっているのが見えた。彼らの身につけた銀色の鎧が陽光を反射し、空を見れば竜の姿になった兵たちが空を旋回している。その厳重な警備はまるで凶悪な魔獣でも封じ込めているかのような物々しさだった。その







